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鉄道開通150周年

先日新聞やニュース番組で、「戦後77年」や「被爆77周年」と“77”という文字がおどった。“周年”という数字として“7”が並ぶのは興味を引くものではあるが、切りのいい数字ではない。2022年という今年の西暦を考えた時、切りのいい数字として“150”という数字が1つあげられる。今から150年前、1872年に鉄道が初めて開通したのである。

節目の年となる出来事は、社会科の入学試験のテーマとして取り上げられやすい。このようなことから今年の入学試験では「150周年を迎えた鉄道開通」について多くの学校で問われるのは間違いないとされる。出題は鉄道というくくりだけではなく、交通といった広義に及ぶパターンも考えられ、高度経済成長期後のモータリゼーションや高速道路の延伸、新たな空港建設といった事まで視野を広げる必要がある。また文明開化で持ち込まれた西洋の技術革新といったくくりにおいても注意したいところである。

鉄道の敷設には様々な苦労が伴った。誰もが鉄道開通の区間を「新橋⇔横浜」と習うが、実は横浜駅(現桜木町駅)と品川駅の間で暫定運用が開始された。新橋まで開通したのは、それから4か月後の10月14日の事である。なぜ品川⇔新橋の開業が遅れたかと言うと、用地買収に時間がかかったからである。結局その用地の買収はできず、海の中に築堤を築き延伸しての開業になった。その結果営業キロ数は約29キロとなり、約53分で両駅を結んだ。時速33キロで走る陸蒸気は、徒歩の約8倍の速さとなった。これまで徒歩だと約10時間かかり、所用を済ませるとなると1泊するのが普通であった。しかしこの鉄道開通によって日帰りが可能となり、人流も盛んとなった。東京に芝居を見に行ったり買い物に行ったりと、東京は生活圏に組み込まれた。当時の新聞雑誌“日新堂”には、横浜の女性が子供を寝かしつけて品川に行き、用事を終えて帰宅したところ、子供はまだ寝ていた、というエピソードが驚きをもって紹介されている。

今まで旅は、人力車や馬車を使うにしろ峠を越し、川を渡るといった道中の苦労を伴うものだったが、運賃さえ払えば目的地に行ける、という現在の旅のかたちが鉄道によって定着した。前述した「品川駅」は、横浜と並ぶ鉄道発祥の地となるが、その後長い年月を経て、2003年新幹線駅の開業、そして今リニア中央新幹線駅の開業が着々と進められている。鉄道は目的地に行くという楽しみの他、海や川、山や谷といった車窓を楽しむといった魅力をもたらした。これを最大限に生かせるよう、国鉄や大手私鉄各社では、競って展望車やパノラマウィンドウを持った車両を登場させた。しかし残念ながら、前述したリニア中央新幹線は沿線のその半分以上が地下やトンネルであり、鉄道の醍醐味である「車窓を楽しむ」ということは除外され、専ら移動時間の短縮だけを追い求めただけとなってしまったのには非常に残念である。

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